2007-11-05

なくしもの

思いは行き過ぎる。
通り過ぎて、追いかけて、取り戻しては懐かしむ。
記憶も、感覚の意識も、そうだ。
記録する。
だけど記録しても時は過ぎている。
取り戻せないものである。
それを惜しむのは、とても無責任なのだと思った。勝手だ。
でもそれをしない術を知らない私は、それでも遠慮がちに惜しみ、残念がるしかなかった。
只の、只、だった。

とてもいとおしいお店が人知れず閉めたと聞いた。
商店街の飲み屋街の真ん中に、場違いなまでに小さく、奥まったところに在る、
だけど空気の深いお店だった。
閉めたことなど、ましてや「在った」ことまで知る人は少ないのかもしれない。
でも、その音の響きと珈琲の香り、店主の人柄を知る人には、大事な場所だった。
「あそこをなくしたのは、私たちの責任です。」
厳しく言った人がいた。そうだな、と思った。

店主の息が隅々まで行き届いた、ポッとあかりの灯った店内。
床の板、机、椅子、棚、石、本、花、器、音。

はじめはその表情すら伺うことを避けるような、無愛想な店主。
次からは少し、少し、遠くでいる。
店が小さいから「すぐそこ」だけど、居るようで居ない。互いを察しない、間。

出されるパンや珈琲やケーキ、チャイの、味わったことのないおいしいこと。
この不器用な人の手から差し出されるものが、
こんな味がするのかと思うと嬉しくてたまらなかった。

そんな近くて遠い、ひとりの客と店主という緊張が少し解けたのは
彼と訪れ、彼と店主が少し話をしたことからか。
その時間は、空気の流れは、私には捉えることが出来ないものだったか。
なんせ、ひとり緊張して空回りしていたように思う。嬉しかったのだけれど。

それからはライブイベントで会ったり、帰りの電車で会ったり。
フラフラっと現われ、のっそり立って話している。
聞き取れないことがよくあるけど、そんな人が恥ずかしそうに目を線にして笑うと、
こっちまで嬉しくてわけも分からず笑ってしまう。

「何も話さない間で、どこかで互いに認め合っていた気がする」
彼は初めに話した時そう感じたらしい。
その感じたことは、本当だと思う。それに、それがあるから、またどこかで会えると思う。
あの場所がなくなったことは本当に残念だけど、また会えるという気が疑いもなくしている。
彼はまた近くでのっそり、いるだろう。

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