思いは行き過ぎる。
通り過ぎて、追いかけて、取り戻しては懐かしむ。
記憶も、感覚の意識も、そうだ。
記録する。
だけど記録しても時は過ぎている。
取り戻せないものである。
それを惜しむのは、とても無責任なのだと思った。勝手だ。
でもそれをしない術を知らない私は、それでも遠慮がちに惜しみ、残念がるしかなかった。
只の、只、だった。
とてもいとおしいお店が人知れず閉めたと聞いた。
商店街の飲み屋街の真ん中に、場違いなまでに小さく、奥まったところに在る、
だけど空気の深いお店だった。
閉めたことなど、ましてや「在った」ことまで知る人は少ないのかもしれない。
でも、その音の響きと珈琲の香り、店主の人柄を知る人には、大事な場所だった。
「あそこをなくしたのは、私たちの責任です。」
厳しく言った人がいた。そうだな、と思った。
店主の息が隅々まで行き届いた、ポッとあかりの灯った店内。
床の板、机、椅子、棚、石、本、花、器、音。
はじめはその表情すら伺うことを避けるような、無愛想な店主。
次からは少し、少し、遠くでいる。
店が小さいから「すぐそこ」だけど、居るようで居ない。互いを察しない、間。
出されるパンや珈琲やケーキ、チャイの、味わったことのないおいしいこと。
この不器用な人の手から差し出されるものが、
こんな味がするのかと思うと嬉しくてたまらなかった。
そんな近くて遠い、ひとりの客と店主という緊張が少し解けたのは
彼と訪れ、彼と店主が少し話をしたことからか。
その時間は、空気の流れは、私には捉えることが出来ないものだったか。
なんせ、ひとり緊張して空回りしていたように思う。嬉しかったのだけれど。
それからはライブイベントで会ったり、帰りの電車で会ったり。
フラフラっと現われ、のっそり立って話している。
聞き取れないことがよくあるけど、そんな人が恥ずかしそうに目を線にして笑うと、
こっちまで嬉しくてわけも分からず笑ってしまう。
「何も話さない間で、どこかで互いに認め合っていた気がする」
彼は初めに話した時そう感じたらしい。
その感じたことは、本当だと思う。それに、それがあるから、またどこかで会えると思う。
あの場所がなくなったことは本当に残念だけど、また会えるという気が疑いもなくしている。
彼はまた近くでのっそり、いるだろう。
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