2007-11-20

ここに暮らす理由。

高松の、好きな雑貨屋さんの日記にあった文。

ちょっとだけ架空の都市生活を夢見たり、
真似たりする中途半端さがちょうどいいと考えている。
実生活には受け入れなくてはならないリアリティがある。

東京で居る時は、憧れの世界に近づきたくて、生活とかどうでも良くて、
夢見たいな毎日を日暮流れるままに流れていたように思う。
ドラマみたいな世界がそのまま目の前にあったし、文化もあった。
情報の速さなんて実感がないくらい通り過ぎていくし、人も風景も同じ。
出会う人はみんな目を輝かせて自分の事を語り、これからのことを語りあう。
私も次々靴を履き替える。
ずっと理想を追いかけて仕事や恋愛やに明け暮れた。

香川に暮らし始めて、生活と仕事を思い直すようになった。
本当は、仕事に明け暮れていた東京時代から考えていた。
これでいいのか、私は、と。

「実生活には受け入れなくてはならないリアリティがある。」

逃れられない生活や環境がここにある。
でもそれが自分と紐着いていることは紛れもない事実。
そこで暮らすことの豊かさとか、鮮やかさとかは自分自身の在り方の問題。

2007-11-12

27歳になります。

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冬椿の原ちゃんとさとみさんと常連さんたちが冬椿に寄って、一日早い誕生日会をしてくれた。
老衰して見るも悲しい姿になってしまった冬椿の看板犬レオを案じている原ちゃんの姪っ子姉妹も来ていた。昨日も来ていたという。
一番左の写真は彼が用意してくれたりんごのタルトケーキ。
真ん中と右の写真はさとみさんと原ちゃんがくれたバラの花と私の似顔絵&飯山とマンションのイラストつきユニクロ長T。似てる。。母も喜んでいた。

久しぶりの日曜スペシャル。
黒ちゃんの鳥料理や原ちゃんとさとみさんの料理、高井ちゃんのチーズ、
西やんが買ってきてくれたシュクレシュクレのケーキが並ぶ。どれも、本当においしい。
どうしていつもこんなおいしいものが並ぶのだろう。
この時も、ここに来る前にきつねうどんと赤飯のおにぎりを食べて来たのに
全部手をつけて何度もおかわりしてしまう。帰りにはもう胸とおなかが同じ高さだ。

シュクレシュクレのケーキは毎回パクついてしまう。
小さなタルトを少しずつ削って口の中に入れては、そのサクッ、パリッ、しっとりとした食感と
一つ一つの材料の味を確かめて食べる。一口ごとに「あーーしあわせぇ」とこぼれてしまう。

お菓子の美味しさなんて、そんなにたくさん印象に残るものなどないと思う。
その中の数少ない類、私のご機嫌をとれるお菓子。
彼はこのケーキを私の為に注文しに行ってくれた時3個、取りに行った時2個、
小さなタルトたちの誘惑に負けて購入。即、全部ひとりで食べちゃったらしい。
私も全部制覇したいと思っている。淡い目標。。

2007-11-08

冬がぽつねんと立っている。

ぽつねんと、している。
ぽつねんと。。  秋らしい音だ。

そういえば、秋が深まっている。
空が澄んでいる。
今日は立冬らしい。

この秋は、どうも乗り遅れてしまったみたい。
暑い日差しはついこの間だったという気持ちが残ってる。
肌寒いまま外へ出てしまう。ジャケットはまだいらない、と意地を張る。
小学生だった頃はこの時期もう霜が降りていたように思う。
何故かあの時、霜の降りたこの景色が11月であることを「覚えていよう」と思ったのだ。

長時間の通勤電車で足はずんぐりし、首は固まっている。
京極夏彦の「魍魎の匣(もうりょうのはこ)」なんて読んでいるから更に気持ちまで重い。
吐き気まで抑えていることもある。

電車を降りた歩道橋の上で、いつも空を見上げ、背伸びをし、深呼吸する。
澄んだ冷ややかな空気で浄化する。
誰かの足音はほとんどない。

真っ暗だ。

真っ白に凍えついているパオをなんとか動かして帰る。
ダルビッシュ犬はどこにいるのだろう。
自宅に戻り、車のライトを消すと現れる山の向こうの星たち、オリオン座にドキリする。
今から空へと向かわんとしているところだ。
プラネタリウムで見た指揮者を思い出す。
あそこら辺にはおうし座があるのだな。
夏の、降ってくるような星ではないけれど、たくさんの星星が揺らいでいる。
ぽつねんと、揺らいでいる。

お風呂と生姜湯であったまったら、眠気のゆだねるままに、
するりと冷えた布団に滑り込む。
そして、何も考える暇もなく、猫みたいに丸まって眠るのだ。

曽我部恵一BAND TOUR 2007-2008 in 高松DIME

ライブ三昧2日目は曽我部恵一BAND TOUR 2007-2008 in 高松DIME。

見よ、この男臭さ。真ん中の曽我部さんの「うどん顔(讃岐顔)」←自分で言ったのよ!
私も同じくうどん顔であることがちょっとうれしくなった。(この写真がまた・・・似てない?)

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曽我部恵一BAND

曽我部恵一 ボーカル、ギター
上野智文 ギター、ボーカル
大塚謙一郎 ベース、ボーカル
オータコージ ドラム、ボーカル

やばかった。楽しかった。叫んだ。歌った。とんだ。踊った。最高だった。今までのライブで一番ハッピーだったかもしれない。
頭は縦揺れ、汗のしぶきが飛び散り、叫び、暴れまわるこれぞロック。
爆音に聞き取りにくい歌詞はとってもピュアでセンチメンタル。直球青春恋愛歌。
振動が身体に入ってきて、初めはうるさいと思った音も足りないと思うほど欲する。
今までいくつかLIVEを見てきたけれど、アーティストからこんなパワー、もらったことない。
私も誰かに、愛いっぱい、エネルギー全開、どーーーーん!ってあげたくなる。
私は、その「誰か」がいることにすごく幸せ感じながら、「らぁらぁらぁー」って歌ってる。
きっと、大口開けてすっごい笑顔でキラキラした目で舞台を見上げていたんだろうな。
自分で見たくないくらいにぶっさいくな顔して・・・曽我部さんたちに負けないくらい。

オープニングアクトには香川の奇才アーティスト、島津田四郎君が登場。
ほっそりピタッと全身緑のジャージに消防帽。
自由にグルービーに、ドーっとバーっとイェーーーーーっ!!!
・・・と行って欲しかったけど、曽我部さんの前で緊張したか遠慮したのかな。
乗り切れていなかった感が残る。楽しかったけれど。
曽我部BANDの燃え尽きるライブを目の前に、どんなことを感じてるかな。
今回の四国巡りから帰ってきてからまた楽しみに思う。
たくさん曲が出来ただろうから、早く2ndアルバムが出ないかなぁ、、、ねぇ、曽我部さん。

一緒に行く予定だった彼は仕事のため行けなくなった。
好きかも聞かず麻衣子さんを誘い、私、初DIME。
廃れたシャッター街の地下にある、元は映画館だったらしい古い狭いライブハウス。
入場する前に、向かいにあった、麻衣子さんがずっと気になっていたという薄暗い蛍光灯の小さな小さなおにぎり屋さんで小腹を満たした。ガラスケースに並んでいたおにぎりのサンプルがとても色悪く形も変だったので心配だったが、注文したらホカホカ出来たて握ってくれた。
っと、おにぎりを両手でかぶりついているところへ、YさんとKさん登場。お恥ずかしい。。
Yさんの、今度結婚するという娘さんも発見。
親子でファンらしいそのお父さんの真っ黒で艶やかな表情は緩んでいた。
このライブの様子も、umieオーナーであるYさんが書いている「あるデザイナー日記」を読んでください。んんー、写真もロッケンロールだ。かっこいい。
でも、飛び跳ねる私の後ろでこのお方がどんな風にライブを楽しんでいたか、
見るに見れずに惜しいことをしたなぁ、と思っている。
まさか飛んだり腕を振り上げたりしてないだろうし・・・

汗いっぱい足は棒立ち。夜風に冷える汗に凍えながら、さっきまでの熱を懐かしむ。
終電前に麻衣子さんを駅まで送り、彼へのお礼を引き受けさわやかに別れ、暗い商店街を駅まで歩いた。
身体に余韻が残っていた。

この日まで曽我部恵一に触れてこなかった。
サニーディサービスの音楽は聴いていたし、CDを借りたりはした。でもそれだけ。
何故か分からない。CDを持たず、関連する情報も読まず。
私の中にある音楽だと知っていた。確信的に、揺るがずに、好きだと知っていた。
だのに、深く知ろうとしなかった。
深く身体に染み込むことを避けてた。
そのことを、この日深く後悔した。

私が上京する数年前からその音は聞こえてきた。
曽我部さんの音楽は、東京とか青春、恋、ロックとか、そんなコトバがピッタリだ。
だから、聞かなかったのかもしれない。純になるのが恥ずかしかったのかもしれない。
あんなにバカ正直に青春してたくせに。
知らない曽我部さんの音楽たちは、泣きたくなるくらいそんな頃を思い出させてくれた。

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リンク01 恋人たちのロック 02 トーキョー・ストーリー 03 ジュークボックス・ブルース 04 ハルコROCK 05 有名になりたい 06 3つの部屋 07 海の向こうで 08 まちぼうけ 09 スウィング時代 10 夢見るように眠りたい 11 恋におちたら 12 浜辺 13 キラキラ! 14 吉祥寺 15 シルバー・スター 16 FIRE ENGINE 17 TELEPHONE LOVE 18 魔法のバスに乗って 19 青春狂走曲 20 瞬間と永遠 21 胸いっぱい 22 STARS ~アンコール~ 23 LOVE-SICK 24 mellow mind

11.8 (thu) 高松 香川DIME
<曽我部恵一BAND TOUR 2007-2008>
http://www.sokabekeiichi.com/

出演 曽我部恵一BAND
時間 18:30open 19:00start
料金 前売り¥2,500/当日¥3,000

2007-11-06

今年も「渋さ@さぬき」

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今夜は少し特別な気分。

SPEAK LOWでの「渋さ@さぬき」ライブ。

再上京をアキラめた時は、香川で渋さ知らズの生音は聞けないだろうと思ってた。
だから「渋さ知らズ@さぬき」を知った時はうれしかった。
その年2005年、SPEAK LOWでのライブにひとりで行った。
映画があった直後だったからだろうか、観客に学生らしき若者が多かったので驚いた。
中休憩、アーティストが退場する時に小森さんに思い切って声をかけたら
「あれー!?どうして高松にいるの?」と覚えててくれた。
女の人こその音、女の人とは思えない小森さんの音に惹き込まれる。
4人の「音あそび」はとても無邪気に戯れて優雅で、全身から音を吐き出して。
小森さんと不破さんに挨拶&握手してドキドキして帰った。

翌年2006年も、付き合い始めて間もない彼の誕生日に重なってしまったが、
プレゼントだと言って強引に誘い、一緒に行った。
渋さなんてアングラマニアックではないか?拒絶されるのではないか?という不安をよそに、彼は渋さを知っていたし、楽しんでくれたと、思う。
渋さを聞くと、腹の底にいる私の生臭いところが踊りだすので不安だった、というのもある。
でも、その部分も大分何層もの皮に被せられたようだった。
ライブは踊子の登場もあって高松とは思えない非日常なライブに満足した。
某香川情報誌にふたりで撮られてちょっと照れたな。
ちょっとした撮影機材でしっかり撮られたのに写りが最悪だったし。

そして今年3度目の渋さ@さぬきは再びSPEAK LOWで。
今回はテナーサックスの片山さんのCD発売記念だから小森さんは不在。
少し残念だったが、片山さんだから楽しみだった。

4年位前、私の現代ジャズの師、ジャズ喫茶「コルトレーンタイム」の親父さんに連れられて片山さんのソロライブに新宿ゴールデン街の店に連れて行ってもらった。
金切り声みたいな初めて聞くSax。
血管が破裂しそうな赤い面。
音が出ている体感もない、息遣いしか把握できない。
音楽なのかわからない。
善さなんてわからない。
でも、この物凄い世界が今もここに在るということ、この人たちはこれが快感なんだ。
なんて分かった風に思いながら、共鳴する音の振動をカラダで受けていた。
隣の人の鼓動まで伝わってきそうな密室の中で。
小森さんも来て、仲間&観客にソロ演れよと言われても断っていた。まだ出来ない、と。
そう簡単には、立てないのだ。その位の事でもあり、それ程の事でもない。

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片山さんは意外にフランクな人だった。観客もオトナだった。こんな一面もあるんだな。
15分以上の演奏に「もう終わりかな、、、まだかっ」と思う、譜面があってないような視線の絡み合い、アドリブ。聞く側も演奏する側と対等でなければ聞いていられないかもしれない。同じ舞台で踊るのだ。すごい。圧倒される音の嵐。

DVDで不破さんが言っていた。
俺たちには薬や葉っぱは必要ねぇ。楽器吹いて踊ろうぜ。
こんなに楽しい事があるじゃねぇか。練習しろ。もっと練習して楽しいことやろうぜ。

子犬が無邪気に戯れて遊ぶように見えるけど、この人たちはプロなのだ。
自分の演奏に責任を持っている。自身を持っている。プロフェッショナル。

こんなにかっこいいおじさんたちがいるじゃないか。
ちょっと忘れてたかもしれない。

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◆「片山広明カルテット a.k.a. 渋さ知らズ」CD「DUST OFF」発売記念LIVE
片山広明(T.SAX) 不破大輔(BASS) 立花秀輝(A.SAX) 磯部潤(DRUMS)
◆2007.11.6(TUE) 19:00 OPEN / 19:30 START
at.SPEAK LOW(香川県高松市塩上町3丁目20-11Field of Soul-1F)

2007-11-05

なくしもの

思いは行き過ぎる。
通り過ぎて、追いかけて、取り戻しては懐かしむ。
記憶も、感覚の意識も、そうだ。
記録する。
だけど記録しても時は過ぎている。
取り戻せないものである。
それを惜しむのは、とても無責任なのだと思った。勝手だ。
でもそれをしない術を知らない私は、それでも遠慮がちに惜しみ、残念がるしかなかった。
只の、只、だった。

とてもいとおしいお店が人知れず閉めたと聞いた。
商店街の飲み屋街の真ん中に、場違いなまでに小さく、奥まったところに在る、
だけど空気の深いお店だった。
閉めたことなど、ましてや「在った」ことまで知る人は少ないのかもしれない。
でも、その音の響きと珈琲の香り、店主の人柄を知る人には、大事な場所だった。
「あそこをなくしたのは、私たちの責任です。」
厳しく言った人がいた。そうだな、と思った。

店主の息が隅々まで行き届いた、ポッとあかりの灯った店内。
床の板、机、椅子、棚、石、本、花、器、音。

はじめはその表情すら伺うことを避けるような、無愛想な店主。
次からは少し、少し、遠くでいる。
店が小さいから「すぐそこ」だけど、居るようで居ない。互いを察しない、間。

出されるパンや珈琲やケーキ、チャイの、味わったことのないおいしいこと。
この不器用な人の手から差し出されるものが、
こんな味がするのかと思うと嬉しくてたまらなかった。

そんな近くて遠い、ひとりの客と店主という緊張が少し解けたのは
彼と訪れ、彼と店主が少し話をしたことからか。
その時間は、空気の流れは、私には捉えることが出来ないものだったか。
なんせ、ひとり緊張して空回りしていたように思う。嬉しかったのだけれど。

それからはライブイベントで会ったり、帰りの電車で会ったり。
フラフラっと現われ、のっそり立って話している。
聞き取れないことがよくあるけど、そんな人が恥ずかしそうに目を線にして笑うと、
こっちまで嬉しくてわけも分からず笑ってしまう。

「何も話さない間で、どこかで互いに認め合っていた気がする」
彼は初めに話した時そう感じたらしい。
その感じたことは、本当だと思う。それに、それがあるから、またどこかで会えると思う。
あの場所がなくなったことは本当に残念だけど、また会えるという気が疑いもなくしている。
彼はまた近くでのっそり、いるだろう。

2007-11-01

じいちゃん伝説:名人編

じいちゃんは釣り名人。チヌ(黒鯛)やメバル、タコも釣る。
ばあちゃんがこしらえる大きなおむすびを持って、朝4時から夜中まで帰ってこない。
一度熱射病になって車の中で倒れているところを発見され危なかったことがあった。
周りの心配をよそに、それでも行く。
私や兄が帰省したときにも必ず魚を食べさそうと釣りに行く。
そして「おいしぃやろがー」と食べさせてくれるのだ。
釣りの技術も、うまい人を見て独学で習得するらしい。
パチンコもしかりで、ほとんど負け知らずで、
小さい頃はチョコなんかをいっぱいくれていた。
ばあちゃんの入院中も、やはりずっとは付き添ってられず、
日中ほとんどパチンコで稼いでいたらしい。(ばあちゃんが明かした。)

じいちゃんは戦争を体験しているし(直接話は聞いていないが戦地にも行き、兄弟を亡くし、じいちゃんは幸い生きて帰ってきたらしい)
かなりの讃岐男児としての誇りもある、がいな人(強い人、強情な人)だ。
だからひと昔前は、ばあちゃんにもきつかったし、乱暴だった。
家族にも厳しかったようで、その歪みはなかなか修復できないところもある。
それでも、今84歳のじいちゃんは、
家族の絆を大事にしようとできる限りのことをして、
思いやってくれている。

そんなじいちゃんが先週、2ヶ月の入院から帰ってきた。
元気に明るい顔になって帰ってきた。83歳には見えない。
白髪がフッサフサ。父ちゃんのほうがやばいんでないか?

いつものようにじいちゃんばあちゃんの寝床横を通って
こっそり期待して見たが、ばあちゃんが狭くて寝苦しそうに
大の字になってベットからはみ出ていた。
ばあちゃんの方が実はたくましい様だ。
でもじいちゃんは相変わらず、ばあちゃんにやさしい。

この前は、「庄内半島で知らんところはないぞ!」と言っていた。
心配ではあるけれど、「定年退職」という本を読んじゃってる父を連れ出して釣りを教えてあげて欲しいものだ。